2020.10.15
アスリート

パラテコンドーに出会うまでのお話

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みなさんこんにちは!
【CADのプロフェッショナル集団】ダイテックスのアスリート担当です^^
今週は工藤の記事です!

こんにちは工藤です!!
私の回ではテコンドーに関すること、大会や遠征の思い出、上肢障がいと自分なりの向き合い方、私生活での趣味などを投稿していきますので今後よろしくお願い致します!

今回は私がパラテコンドーに出会うまでのお話をしていきます。

私は幼いころから身体を動かすことが好きで、様々なスポーツを経験してきました。
幼児水泳スクールから始まり、ジュニアテニス、少年野球、中学の部活では型に魅了され剣道を。

余談ですが剣道を始めた当時は身体を動かすことと同じくらい食べることが好きで、ぽっちゃりとした体型をしていました(-_-;)
中学校までの往復約10kmの自転車通学と剣道の稽古で標準的な体型にまで戻りました。

高校ではバドミントン、大学ではラクロス、社会人になったら父親からの影響でテニスをもう一度始めました。

おおよそ10年間の間に6種目もの競技を始めてとんでもない飽き性の性格ですね・・笑
新しい競技を始めるたびに家族には、色々な面で苦労を掛けてしまったことを反省しています(-_-;)

でもこの性格のおかげで、パラテコンドーに出会ったときにスッと興味を持つことが
出来たのかなって思います。

ここからは私が上肢の障がいを持つことになる話から始まります。
(痛いこと、事故の話が無理な方は閲覧を注意してください)

新卒で工場へ働き始めて半年の時のことです。
少しずつ仕事を覚え慣れはじめたとき、ふとした些細なミスで左上肢の上腕までを切断してしまいました。
直ぐに手術を行い命には事なきを得ましたが、左手は一生無い生活をしなければならなくなってしまいました。

私自身、左手が無くなったときはとても焦りましたが、死ぬ気配がなく「まぁ、なんとかなるだろうなぁ」と思いました。
大事故が起きたのに、のん気に構えていたところ、周りが落ち込んでいる姿を見てホントに申し訳ないことをしてしまったと情けない思いをようやくしました。

左上肢のキズが落ち着いた頃に義手を作成しないかと提案があり義手作成と訓練の為に入院生活をしていました。

入院生活中は寝て起きてご飯食べて、義手の訓練の繰り返しの生活でしたので身体が鈍ってしまうと思いながらもゴロゴロと暇しつつスマホでSNSを閲覧していました。
その時にふとパラスポーツの競技者募集についての記事が目につきました。
この瞬間が私の人生の青天の霹靂です。

この記事を見てすぐに連絡をしました。すると「スポーツ能力を測定して向いているパラ競技をお教えします」と返事が来たので指定された場所に出向き測定をしました。

測定の結果様々な競技の中で一番パラテコンドーに適していると結果が出ました。
当時はパラスポーツが出来ればどんな競技でもいいなと思っていたので、なんの疑問もなく
何ならワクワクしつつパラテコンドーを体験しに岐阜の道場にお邪魔したのが、出会うまでのお話です。

人生は何が起こるかなんて分かりません。

まさか私がパラアスリートになり、パラテコンドーと出会うなんて夢にも想像すらも出来ませんでした。

そして素敵な皆さまに出会えることが出来るなんて、思ってもみませんでした。
これからの人生何が起こるかわからないですが、きっと楽しい出来事が待っているはずです!

そんな出来事を期待して毎日をワクワクな気持ちで過ごしていきましょう!

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